一年を24に分けたものを二十四節気と呼び、
それをさらに3等分ずつにしたものを七十二候と呼びます。
ひとつの節気で大体15日間、ひとつの候で約5日間です。
11月23日~11月27日頃は、二十四節気で言うと「小雪」、
七十二候は「虹蔵不見(にじかくれてみえず)」と名付けられています。
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二十四節気が「小雪」になりました。
わずかに雪が降る時期ということですね。
そして七十二候は、虹のこと。
虹は夏の季語だけあって、夏場に現れやすいもの。
冬になり、虹を見る機会がなくなったことを指しているのが、
今回の七十二候です。
虹は、中国では竜の一種と考えられ、
雄を虹、雌を蜺(げい)と呼ぶのだそうです。
しかし意外にも、日本の古典には虹はあまり描かれていません。
(注)今回、『新編 日本古典文学全集』を用いて漢字「虹」の使用を調べました。
虹は和歌に詠まれそうなのに、
奈良時代の『万葉集』に1首あるだけで、
有名な『古今和歌集』や『新古今和歌集』にも出てきません。
なんと清少納言の『枕草子』にも虹は出てきません。
清少納言なんて、虹について色々言及しそうなのに。
『源氏物語』にようやく1つ例がありますが、
「白虹日を貫けり(白い虹が太陽を貫いている)」という
中国の故事の表現なので、紫式部が虹を描写したわけではないという状況。
どうやら古典の世界の人たちは、虹を趣あるものをして捉えていない、
少なくとも、和歌に詠む景物(四季折々の趣あるもの)と考えていないみたいです。
現代の我々は、虹を見ると得した気分になったり、
虹を幸運のシンボルのように捉えることがありますが、
古典世界の人たちは、こういった感覚もなかったのかもしれません。
(虹=幸運という価値観があれば、作品に残っていると思うのです)
では、虹=幸運は一体どこから来たのでしょうか?
推測ですが、西洋文化が影響しているように思います。
例えば、旧約聖書のノアの箱舟の話に虹が出てくるのです。
大洪水の後、神は、今後は大洪水を起こさないという契約のしるしとして、
空に虹をかけたのだそう。
キリスト教圏では、虹は神聖なものと考えられているようです。
こういった価値観が日本に入ってきて、
今の私たちの虹=幸運というイメージにつながったのかもしれませんね。
今年は虹が隠れる季節になってしまいましたが、
次に虹をご覧になる際、今日のお話を思い出していただけたら嬉しいです。